【マイルス・デイヴィス】Miles in Berlin 第二期黄金クインテット・メンバーに対するマイルスからの評価について 考察40

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Miles in Berlin 概要

1964年 Columbia

Wayne Shorterts
Herbie Hancockp
Ron Carterb
Tony Williamsds

いよいよ時系列できたこのブログもあのウェイン・ショーターの名前が出てくる時代となりました。

ウェイン・ショーター - Wikipedia

以前、コルトレーンがマイルス・バンドを辞めたいという時期がありました。コルトレーンがマイルスに後釜として紹介したtsの巨匠ですね。

ショータージャズ・メッセンジャーズを辞めるというニュースがマイルスに入ったのは1964年の7月。それはマイルスの初来日公演(Miles in Tokyo)から帰国した直後でした。

マイルスはもともと熱烈にショーターにラブコールをしていました。が、ジャズ・メッセンジャーズの音楽監督としても活動していたショーターは合流にはいたりませんでした。マイルスの念願がようやくかなったのがこのMiles In Berlinなのです。

5作品連続のライブ・アルバムのリリースはテオ・マセロとのQuiete Nights(1962年)での若干の確執と、マイルスにとってこのメンバーで新作を作りたいという納得のメンバーを集める時期でもあったのでしょう。

Miles in Berlin ライブ会場と収録曲について・・・

当時の西ドイツ、ベルリンのフィルハーモニー・ホールでの実況録音となります。

発売当初、Themeを含めて5曲でしたが、その後CDでは未収録のSeven Steps To Heavenが4曲目に追加されたそうです。

中山康樹さん「マイルスを聴け!Version7」の中で3曲目So Whatと4曲目Walkin’の間にSeven~が入ってしまったことに曲の勢いが衰えると嘆いていらっしゃいます。

これも中山さんのマイルス愛からくるものですねw。

この盤の曲順はライブ演奏のそのままの順で収録されており、へんなアナウンスメントも入ってませんw。

Miles in Berlin 楽曲を聴く

Milestones を聴く

この曲はドラムスのトニー少年(トニー・ウィリアムス)の真骨頂ともいうべき曲となりました。

とにかくマイルスですら置いていかれたり、鼓舞されたりすると言ってるくらいです。

ショーターのテーマ・メロディにハンコック、ロン、トニーのリズム隊も反応。まったく変幻自在とはこのことかと聴いていておもしろい!かっこいい!!

Autumn Leaves を聴く

すっかりマイルスのお馴染みになったバラードはしっとりと少ない静かな最低限の音数で始まります。

この冒頭の音数と小さな音でメロディアスに、ときには直線的に吹くマイルスにはさすがマイルス・・・持っていかれます。wステキ♡w

この小音、最低限の音数によって広いライブ会場の全員が緊張感を持って聴いていて、やがてその緊張感が最高潮に達しマイルスのソロが終わりに近づいてくると一気に小⇒大、短⇒長への変化です。

緊張⇒弛緩

これぞマイルス、ジャズ、音楽の醍醐味ではないでしょうか?

続くショーターメロディアスかつ、弛緩して解放された雰囲気を引き継ぎますが、コルトレーンとも違い吹きまくるという感じではありませんよね。

高速 So What~Walkin’~Theme~ を聴く

この3曲の連続こそ前述の中山さんのおっしゃるこのライブ・アルバムの肝とのこと。

So What はロンの冒頭テーマのコール&レスポンス部分、ところどころ少し音をシャープさせてより高速感をかきたてます。

疾走感はショーターもかなりリズム隊に引っ張られるようなかたちなのか、それとあわせていっているのか、スリリングさは完璧です。ショーター合流してまだ1か月半ほどです。

Walkin’なんかは途中6分半過ぎMilestonesのテーマ・メロディを織り交ぜてフィニッシュへもっていきます。決してロストしたのではありませんよねw。 

偶然の産物だったとしてもこれぞジャズ~っていう演奏。

Miles in Berlin この時期のマイルスのメンバーへの評価と思い

いよいよそろった第二期黄金クインテット。

マイルスは「マイルス・デイヴィス自伝」の中で高くメンバーを評価しています。

マイルスは

偉大なバンドを作り上げるには、全員の犠牲が必要で、それなしじゃ何も起こらない。」

「マイルス・ディヴィズ自伝」(P332)

みんな若くて、オレから学んでいたが、オレだって新しいこと、例えばフリーなアプローチなんかを彼らから学ぼうとしていた(同書P332)

と語っています。帝王は貪欲かつ、謙虚な姿勢も年齢に関係なく持っていたようです。この時の年齢は

マイルス38歳

ショーター30歳

ハンコック24歳

ロン27歳

トニー18歳わずか18!?

残念ですが1960年にコルトレーンが離脱したときのことをマイルスは「トレーンが俺のバンドにいた終わりの年(1960年)は、奴は自分のためにやっていた」(同書P331)

とも述べており、離脱する頃のコルトレーンを基準として第二期黄金クインテットの各一人ずつにスポットを当ててマイルスの言っていることを考察というと大げさですがみてみましょう。

1 マイルス・クインテットにおけるマイルス自身の位置づけ

マイルスは、自身をこの黄金クインテットだけではないと思いますが、マイルスがリーダーのバンドでは「オレがこのバンドのインスピレーションであり、知恵であり、つなぎ役」(同書P331)としています。

「インスピレーション」「知恵」をメンバーに与えて、「つなぎ役」をしているとのことです。

「つなぎ役」というキーワードは前述の「犠牲」というキーワードにもつながります。

帝王すらバンドの「犠牲」なるのだとのことです。

2 トニー・ウィリアムスについて・・・

トニーについてマイルスは「トニーは創造的なひらめき、火花」(同書P331)と言っています。

そう、彼のドラムスを聴いていると本当に火花が音を立てて飛び散っているようです。予測不能なエモーショナルなテクニック。

「バンドを去来したたくさんのミュージシャンの中で、『どうして練習しないんだ!』とオレに喰ってかかった唯一の奴だった」「彼が、いつのまにか、やめていた練習をオレにまた始めさせた」「ドラマーの話になったら、トニー・ウィリアムスしかいないと、これだけは間違いなく言える。彼のような奴は、後にも先にも、一人もいない」(同書P332)。

このマイルスのトニー少年(当時18歳)の評価はすごいですね。

若過ぎたゆえに、夜のクラブに出入りするのにトラブったことはあったみたいですけどね・・・。w

3 ウェイン・ショーターについて・・・

「ウェインはアイデアの源泉だ」(同書P331)とマイルス。

確かに自作のE.S.P.以降のスタジオ録音のアルバムでもショーター作曲も多くあります。

マイルスはショーター「メッセンジャーズの中で音楽監督だったことで、かなり伝統的なスタイルに戻っていた。オレのバンドじゃ、アートの所よりもフリーにやりたがったが、超前衛的なことはやろうとしなかった。ウェインはずっと様式内で実験してみるタイプ」と語っています(同書P331)。「バンドの知的な音楽的触媒だった」(同書P332)とも言います。

まさにマイルスが各メンバーの「つなぎ役」という犠牲になっているところの、肝心なアイデア媒体持ってくる人物がショーターであり、それは相当の信頼がなければマイルスが任せられるポジションではなかったはずです。

4 ロン・カーターについて・・・

マイルスはロン・カーターについては「勢い」と語っています。

ショーターもハンコックも欲しがっていた「勢い」がロンにはあるとのことです。

これがトニーのドラムスと呼応することで、この時期のフリーなスタイルの勢いの強弱が作られていたことをマイルスは語ります。

5 ハービー・ハンコックについて・・・

マイルスは一言でハービー・ハンコックについて「スポンジみたいで、何を演奏されてもクールに、すべてを吸収していた」(同書P334)と言います。

ハンコックもマイルスが安心して任せられるピアニストでした。

唯一、ハンコックにアドヴァイスしたというのが

「コードに音が多すぎる。コードははっきりしているし、サウンドだってそうだ。だから、低音部の音を全部弾く必要はないんだ。ロンに任せておけ。」(同書P334)

だそうです。

これは何を弾いていいいかわからなくなる時があるとハンコックがマイルスにアドヴァイスを求めたときの言葉です。「わからんときは、なにも弾くな」とも言ったそうです。

これは僕も最近はサボってますがギターを弾きますので実に興味深いです。

同じ伴奏、和音楽器であるピアノと重ねるところでもあります。

「速く弾くな」「弾きすぎるな」「一晩中座っていても何を弾かなくたっていい。八八鍵もあるからって~」とマイルス(P334)。

僕みたいなんはもっと弾いて練習をしまくらなければいけないのは当然!!wですが、この世界的レベル、歴史的レベルのミュージシャンはすごいですね。

Miles in Berlin 全般をとおして・・・

マイルスの新しい第二期黄金クインテットの各メンバーに対する評価と役割のようなものがこのようにわかると、ここから始まるいわゆる「ショーター四部作」への聴き方も変わってくるのではないかと思います。

今まで何度もE.S.PMiles SmilesSorcererNefertitiと繰り返し聴いてこられたファンのかたは、新たに気づく点があるかもしれません。

今までロックやポップスを聴いてきたかたにも、超名盤であり、前衛的であり、やや不思議なアルバム4枚になることと思いますが、時系列に聴いてくるとみえてくるものがありそうです。

その四部作の出発点という位置づけベルリンでのライブということで、これは非常に興味深い一枚だと思います。

一言で表すなら「変幻自在なクインテットの出発点」というところでしょうか?

ぜひ爆音で、ハード・ロックやメタルを超えるようなこのスリリングなライブ・アルバムを自伝などの書籍を片手に聴きなおしてみられてはいかがでしょうか?

いつのまにかアルバム・レビューというより「第二期黄金クインテット」についての記事になっていましたw。

こんなこともあります!これぞジャズ!!www

最後まで今回もつたないブログにお付き合いいただきましてありがとうございます。<(_ _)>

コメント

  1. 瀧元聡司 より:

    「つなぎ役」における、「犠牲」の解釈について
    マイルズにはソロプレイについて、「完結させず、次のプレイヤーにバトンを渡す」というようなニュアンスの発言がありますよ

    • kanayama@jazz kanayama@jazz より:

      瀧元様「犠牲」の解釈についいて…「完結させず、次のプレイヤーにバトンを渡す」ですね。そうですか、「犠牲」よりも「渡す」「つなぐ」という表現のほうが文字にするとしっくりくると私も思いました。バトンを渡すほう、渡されるほうの両者での化学反応がJAZZと言いますか、マイルスの音楽の醍醐味の一つなんでしょうね。「マイルズ」という呼び方ができる瀧元様はMiles Davisに精通されておられることと思います。わたくしめのような若輩者のたわごとにお付き合いいただきまして、誠にありがとうございます。