【マイルス・デイヴィス】Pangaea アルバムレビュー 考察64

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Pangaea 概要

Miles Davistp,org
Sonny Fortuness,as,fl
Pete Coseyelg
Reggie Lucaselg
Michael Hendersonelb
Al Fosterds
Mtumeper

1975年2月1日(19:00~) 大阪フェスティバル・ホール Columbia

前作『アガルタ』(当初のリリースは『アガルタの凱歌』)が昼の部の録音でしたが、それに対して『パンゲア』(当初のリリースは『パンゲアの刻印』)は夜の部の録音です。

リリースされたのは『アガルタ』1975年の6月に対し、『パンゲア』は同年11月です。

『アガルタ』をリリース後、日本では順調に売り上げを伸ばしたようで、続編の『パンゲア』はリリースにいたりました。

しかし、本国アメリカでは『パンゲア』は、なんとリリースはされませんでした。アメリカではまだ、いわゆる、エレクトリック・マイルスがまだ完全には根付いておらず、一部のコレクターだけが、この日本限定の本作を買い求めたのだそうです。

『パンゲア』がアメリカで発売されたのはCD化された1990年まで遅れました。

『アガルタ』では『このレコードは住宅事情の許す限り、ヴォリュームを上げてお聴きください』に対して、

『パンゲア』では『このレコードはあなたの聴覚が麻痺しない範囲まで、ヴォリュームを上げて、お聴きください』と、また一つ洒落た文言が記されていたそうです。

『卵の殻』に例えられたマイルスの日本での扱いについて・・・Pangaea

今回ブログを書くにあたり、中山康樹さん【『アガルタ』『パンゲア』の真実】(2011年 川出書房新社)を入手してさらにいろいろ調べてみました。

これら大作の2枚組x2をより深く知りたいと思い読んでみました。

非常に興味深かったのが、日本でのライブ・ツアーの録音をレコード化するための日本スタッフの苦労が書かれていました。

斎藤延之助さんというかたは、来日のたびにマイルスをサポートした人物なのだそうです。そのかたの証言でも実はこの1975年のマイルスの来日期間、帝王の体調は非常に悪かったのだそうです。

持病や事故、ケガからの体の痛みに加え、風邪症状があったのだとか・・・。日本の医師から処方されていたのはコデインとモルヒネで、一時的には非常によくなる薬を服用していたのです。

しかも夜の部の前の体調はさらに悪化していたそうですが、『マイルスを聴け!Version7』の中では『アガルタ』の解説ページで中山康樹さん『パンゲア』のほうが『上』と述べておられます。

このような薬の服用でなんとかやっていた・・・そんなところもあるようです。

そもそもいくつかの日本でのツアーの中で2月1日の大阪公演のみがライブ録音されたのも、マイルスを非常に丁寧に扱った日本スタッフの功績があるのでした。

大阪公演は日本ツアーの中程の日程で、マイルスと他のメンバーのベストを引き出すため、初日はまだ調子が上がってこないだろうと予測して避けたらしいです。

最終日とその近くは帰路を考えたり、お土産を考えたりw、集中力が下がることを避けるため避け、この日のこの場所が選定されたのでした。

そして昼、夜公演の2回録音したのも、機材トラブルや、マイルスの予期せぬトラブルや気性の変化に備えたものだそう。

幸運なことに昼夜どちらもトラブルなく録音ができたことで、両方のリリースにこぎつけたという事情もあったのです。

当初は2組のライブ・アルバムをリリースする想定ではなかったそうです。

昔からマイルスのトランペットは『卵の殻の上を歩く男』としばしば形容されましたが、この日本ツアーの録音には『卵の殻』のようにマイルスは繊細に日本スタッフによって扱われ、無事に録音→リリースされたのだということが、【『アガルタ』『パンゲア』の真実】に詳細に記されています。

筆者<br>かなやま
筆者
かなやま

中山康樹さん著『アガルタ』『パンゲア』の真実】は、いつものアノおもしろ、おかしく、あったかい『中山節』口調では書かれていませんが、非常にこの時代の背景やサンタナや他のミュージシャンの証言、スタッフの証言をもとに書かれていて、深く『アガパン』を知ることができる良書でした。

楽曲とタイトルについて・・・Pangaea

『パンゲア』は2枚のディスクにそれぞれ1曲ずつで構成されています。

今まで同様、一気通貫でのメドレーで行われる1セットを1曲としています。

タイトルは意味をほとんど失っており、日本のレコード会社スタッフが提案して名付けられたものとなります。

もっといえば『アガルタ』『パンゲア』も日本スタッフが考えたものです。

Pangaea とは・・・

そもそも『パンゲア』とは『アガルタ』と対のようにして名付けられたもので、小川隆夫さん『マイルス・デイヴィス大事典』によると『ペルム紀(いまから3億年近く前)から三畳紀にかけて存在した超大陸』と解説されています。

パンゲア大陸 - Wikipedia
筆者<br>かなやま
筆者
かなやま

原始、地球上の全大陸はひとつだったといわれています。その大陸のことを『パンゲア大陸』というのですね。

Zimbabweについて・・・

DISC1 Zimbabwe(ジンバブウェ) 『ターンアラウンドフレーズ』『ウィリー・ネルソン』『チューン・イン・5』を含む 

『ジンバブウェ』とは、南アフリカのローデシアの首都ソールズベリの南にある巨大な石造建築の廃墟のことだそうです。ここでは、アフリカの『ジンバブウェ共和国』を指してタイトルにされたわけではないようです。

Gondwanaについて・・・

DISC2 Gondwana(ゴンドワナ) 『イフェ』『フォー・デイヴ』を含む 

『ゴンドワナ』とは、『パンゲア大陸』の南半球のことだそうです。

33分過ぎからウォーキング・ベースにのってマイルスが少ない音数でワウ・トランペットを吹きますが、ここで“Come on! Miles!”と声が聴こえますがエムトゥーメ(per)。

高揚を抑えられずに叫んでいるふうに僕は勝手に聴いていたのですが、【『アガルタ』『パンゲア』の真実】に書かれていた体調の悪化があったマイルスを鼓舞している・・・というのが実際だったようです・・・。そう知ると痛々しくも聴こえますし、マイルスがトランペットを吹く時間も短く、オルガンを弾くほうがむしろ長くも感じます。

だとしても、他のメンバーがマイルスの化身のように、マイルスのサウンドを奏でているのを感じられると僕は思っています。ラストはここでもシュトックハウゼンのようなエンディングです。

ジャケット・アートを眺める・・・Pangaea

前作、『アガルタ』に次いで、本作もタイトルにもある程度連動している、同日録音の昼夜の連作であることから、普通は『アガルタ』のジャケット・アート同様、横山忠則さんの作品をとなりそうなものです。

が、金銭的理由と作業工程の難易度が高いことから、日本CBSソニーのデザイナー部門に在籍した田島照久さんが担当したとのことです。あらら・・・。

『ナスカの地上絵』にならって、一筆書き描かれているアート作品となっています。

当時の日本盤アナログLPリリースは、ジャズ解説者のライナーノーツを入れなかったそうです。そのかわりに8ページの小冊子が封入され、そこには・・・

元始、地球上の全大陸は”ひとつだったといわれる。その大陸を”パンゲア”という。”パンゲアがある時、自然界のある種の大異変によって、ふたつに分かれた。

と記されているそうです。これも日本スタッフの新たな挑戦、変革だったそうです。

Agahrta Pangaea をとおして・・・

いわゆる、『アガパン』をとおして聴きなおし、書籍を読み、調べてみて、非常にデリケートにこのライブ録音がなされたことを知り、苦労を感じ、聴くようになりました。

日本スタッフが綿密に計画して、1975年2月1日に大阪で録音する計画をたて、実行して成功し、今僕はこうして繰り返してこのライブを良質な音で楽しむことができます。

それには先人たちがいわゆる、電化マイルスの賛否について意見を戦わせてくれたからこそ、こうして録音がされ、リリースされて聴けるようになっているのです。

たいへん、ありがたいことだと思います。

決して、マイルスはこの頃、コンディションは良くはなく、むしろ最悪の状態だった、にもかかわらずその日のエモーションでバンドを率いてステージをこなしていたのです。

そしてその後7か月あまりして(1975年9月5日のステージを最後に、6年近くにもおよぶ一時引退(長期休養)へと続きます。

この『アガパン』として、これまでは『怒涛のライブ・アルバム』と軽々しく形容してきましたが、その背景にはマイルスもレコード会社も苦悩があったことを知ることができました。

マイルスの精神状態、体調、薬物依存状態はとても悪かった、そして、音楽的にもこのような状況では、今まで築いた『ビッチズ・ブリュー』『オン・ザ・コーナー』の手法から、次の手法へと変革を目指した。

が、それ以上の発展に手詰まり感を感じるような・・・そんな聴き方をしてみると、『アガパン』は先に述べたように、単純に『怒涛のライブ・アルバム』とだけ形容できるものじゃないのではないか?・・・けっこう闇があるライブ・アルバムである・・・そんな風に聴こえ、感じるようになりました。

そして中山康樹さんもよくおっしゃるように、一朝一夕ではやはりマイルスは語れない。

『アガパン』だけとってみても、毎回聴くたびに異なって聴こえるし、なにか新たな発見があるのではないか?と期待して僕はディスクをプレイヤーに置きます。

深いマイルスの芳醇な世界を、また長期、休養明けの『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』(1981年)で、じっくりと楽しんでいきたいと思います。今後もレビューを続けます。どうぞよろしくお願いいたします。

<(_ _)>

 

 

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