【マイルス・デイヴィス】Live Around The World アルバムレビュー 考察77

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Live Around The World 概要

1988年~1991年 Warner Bros.

筆者<br>かなやま
筆者
かなやま

このアルバムをいったい、時系列のどこに書いていけばいいのか・・・、悩みに悩んでマイルスの生涯最後のアルバムとしてこのブログは紹介したいと思います。

このライヴ・アルバムは1998年~1991年の間に世界各地で録音されたものですので、小川隆夫さんの『マイルス・ディヴィス大事典』では『シエスタ』(1987年)と『アマンドラ』(1988年)の間で紹介されています。

一方、中山康樹さんの『マイルスを聴け!』では『マイルス・デイヴィス・アンド・クインシー・ジョーンズ・ライヴ・アット・モントルー』(1991年)の後の公式盤としては最後の位置で取り上げられています。

僕も中山さんが『マイルスを聴け!』シリーズで書いておられるように、マイルスの最後のステージの模様が収められた⑪『ハンニバル』(1991年8月25日ロサンゼルス「ハリウッド・ボウル」)があることで、最後にこれを取り上げたいと思いました。

今のところブートレグには手を出していない僕ですが、最後の1日の演奏があちこちのブートレグに収められてはいるそうです。

お好きなかたはそちらもチェックしてみてはいかがでしょうか?

ゴードン・メルツァーというマイルス晩年を支えたマネージャーがいうには、この盤を制作するにあたり10曲を選定、それを当時のセット・リストに近い形に並び替えて最後にマイルス生涯の演奏⑪『ハンニバル』をつけ足した自信作。

確かにすべての演奏が神ががっている名演ばかりの1枚です。

では録音日時と場所を順に確認しながら書いていきたいと思います。

楽曲を聴く

①In A Silent Way②Intruder を聴く・・・

1988年12月17日、ニューヨークにIndigo Bluesなるジャズ・クラブのオープン記念で。

小さなクラブでの酔っ払い相手の演奏に嫌気がさして、ホールのような大規模の会場でしかもう演奏はしないとしていたマイルスが、クラブで演奏をしたという、マイルスのまたサービス精神ライヴの模様。

こちらのリンクから編集、カットなしのヴァージョンが聴けます。このオープンの華やかさとスリル、緊張感ある、各ミュージシャンの音数の少ない演奏に聴き入りますね。

③New Bluesを聴く・・・

1988年8月14日、ロスのGreek Theaterにて。クラブらしい観衆のチャチャも(笑)入ります。いい雰囲気。文字どおりの新しいスタイルのブルースです。

④Human Natureを聴く・・・

1988年11月1日優しく始まるのですが、次第に熱を帯びていくマイルス・バンド。もうマイルスが吹いていなくてもケニー・ギャレットのアルト・サックスが超名演!

1コードだけでずっと進行していきますが、ラストに転換があり、そのままケニーが吹ききって異次元の盛り上がりを見せます。最後にマイルスもご満悦の様子w。

⑤Mr. Pastoriusを聴く・・・

マイルスのオープン・トランペットをたっぷり楽しめるバラード。『アマンドラ』(1988年)より。1989年4月12日フランス“Domaine De Grammond”でのもの。

⑥Amandla を聴く・・・

アマンドラ』より。1989年6月5日イタリアはローマ“Pallazo Della Civita The Steps”にて。こちらも最後にマイルスのご満悦な声が聴こえます。

⑦Wrinkle~⑧Tutuを聴く・・・

1990年7月20日スイス、モントルー・ジャズ・フェスティヴァル“Casino De Montreux”での模様。

ファンキーなキーボードで始まりますが宮城出身のケイ赤城氏の演奏です。赤城氏は『ディンゴ』(1990年)にも一部参加。

マイルスの余命があれば、我が国出身のミュージシャンがマイルスと共演する雄姿をもっと見れたのになあ・・・。

疾走感ある冒頭からファンキーなチョッパー・ベースのノリのよいサウンドに変化。これはマイルスの息子エリン・デイヴィスが実際は作曲したのですが、マイルスのクレジットとされています。再度冒頭のリズムに戻りエンディングへ。

続いて『Tutu』がタイトなリズムで始まる。こちらも赤城氏のキーボードが素晴らしく途中、自然発生的に拍手が起こります

楽曲がもともとよいですが、ライヴ演奏のスリリングさを楽しめます。

⑨Full Nelson を聴く・・・

唯一の大阪公演よりのテイク。1988年8月7日大阪万博記念公園とワーナー・ブラザーズ公式日本版CDのライナー・ノーツにはありますが、『マイルス・デイヴィス大事典』(小川隆夫さん著)では1990年7月20日『グリーク・シアター』と書かれています。

『Tutu』(1986年)よりファンキーな名曲をライヴでやるとこうなったのか~と唸る。

筆者<br>かなやま
筆者
かなやま

どちらが正しいか確認できていませんので後日追記したいと思います。

⑩Time After Time を聴く・・・

1989年6月5日、シカゴのGreek Theaterにて。別にこれがマイルスの最後の演奏でもなんのですが、次曲がマイルスの生涯最後のステージの演奏と一緒に入っているものだから、なんとも感傷的に冒頭からの静かな伴奏にのっかる、マイルスのトランペットにジーーーーーンときませんか?

これがマイルスが生涯をかけてたどり着いたサウンドじゃないかなと勝手に思っています。ときに弱弱しくも聴こえる消えそうなマイルスのトランペットが、静かにマイルスの積み重ねてきた年月も思い起こさせるような・・・ちょっとドラマティックに考え過ぎでしょうか?

大好きなライヴ演奏です。

随所に自然発生的に観衆からの拍手が起こり、それが暖かく聴こえて涙腺を刺激します。次第に盛り上がりブレイクが入り・・・。言うことありませんね。

フォーリー(b)とマイルスの静かでセクシーなかけあいも必聴。

⑪Hnnibal を聴く・・・

1991年8月25日、ロサンゼルスのHollywood Bowl・・・。中山康樹さんこれを聴くと『なにも言えなくなる・・・』マイルスを聴け!Version7で言っておられるくらいです。

“The Last : Complete Version”なるSo Whatレーベルから出ているブートレグでこの演奏のフル・ヴァージョンが収められているそうです。そのうち手に入れることになるとは思います・・・。

マイルスは自信の死期を予見して最後の9ヵ月を過ごしたのか?

こうして聴いてみると本作はマイルスがまるで死期を予見し、それまで決して振り返ることのなかった活動をやってみたようにも聴こえます。

小川隆夫さんは決してそんなことはなく、まだまだやることがあふれて振り返るなんてことはなかったというふうに捉えられています。

そして『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスⅢ世研究』では741ページからそのように死期を予見していたか、否か・・・そういったことについても講義されています。

まるで死期を予見し、かつての旧友との再演を行ったり、クインシー・ジョーンズとのコラボを行ったり・・・どうなんでしょう?

そしてマイルスの墓碑に刻まれた名曲Solar

マイルス・デイヴィスは1991年9月28にこの世を去りました。65歳。

マイルスの墓はニューヨークにあります。1954年のマイルスが薬物から脱却をだいぶできて、再スタートをきった華々しい名作『ウォーキン』(1954年)に収録されている『ソーラー』(マイルス作曲)がマイルスの墓石に一節、刻まれています。

僕はこの記事で墓石に誰がなぜ、この素晴らしい温かな楽曲を墓石に刻むことを決めたのか・・・ずっと疑問でしたが、『M/D』でも『大事典』でも不明のままなのです。

いつかはこの謎を究明すべく、マイルス好きの皆さまと一緒に、マイルスを訪ねるツアーでも組んでアメリカを旅してみたい・・・そう思っています。

筆者<br>かなやま
筆者
かなやま

僕がマイルスの墓石について書いた記事は1954年『ウォーキン』のレビューとともに

記事にしてあります。

全般をとおして・・・

ワーナー・ブラザーズの術中にハマった感があり、⑪曲目に釣られて、すべての楽曲がマイルスの最後の日のライヴ・アルバムを聴いているような感覚に陥ります。ちくしょー、でもいいもんはいいんですwww。

人間いつが生涯最後の〇〇になるかなんて誰もわからなく、ましてや帝王マイルスはまだまだ次の構想があったはずです。

でも事実、帝王ですら、自分の最後を正確に予想なんてできませんでした。ですが着実に自分の死を意識だけはしていたのは、もうこのアルバムを聴くと伝わってくるような気が僕にはします。

やっぱりこの⑩曲目『タイム・アフター・タイム』~⑪曲目『ハンニバル』をよく聴いています。

そしてマイルス・ディヴィスを勝手に言いたいこと言ってきた『勝手にマイルス考古学』も最終話となる・・・そんなはずでした・・・。

これからの『勝手にマイルス考古学』について・・・

『ディグ』(1951年)から始まった当ブログの冒険は考察77を迎えてゴールのはずでした。しかし、僕にはまだやり残したことがあるんです。

それはこの記事でも書いているのですが『ディグ』より前の時期の『ファースト・マイルス』(1945年)や『バース・オブ・ザ・クール』(1949年~1950年)などを取り上げてはいないのです。

それは恐れ多くもあの映画『スター・ウォーズ』シリーズのようにエピソード4から始まり6までで一旦話を終わらせ、エピソード1に遡り、エピソード3で完結する・・・そんなスタイルをマネしてみたいと思っておりましたw。

でも実際は、1940年代のマイルスからレビューを書くというのは、けっこう困難に感じられたからでもありました。

1曲1曲がまだLP(ロング・プレイ)ではなく、レコードの録音としては短時間でしか制作できなかったから、僕にはなかなか難しく感じられました。ブログを書くという作業にはだいぶ慣れてきたので、ここでエピソード1『ファースト・マイルス』にいっきに時代をさかのぼって、そこから再度時系列に『ディグ』の前のアルバムまで、もう少し書いていこうと思います。

どうかお時間の許す限り、このブログ、もう少しお付き合いいただけましたら、この上ない喜びです。最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。

<(_ _)>

 

 

筆者<br>かなやま
筆者
かなやま

僕が発売から3ヵ月以上、小川隆夫さん著『マイルス・デイヴィス大事典』

使い倒した記事はこちらからご覧ください。

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