Cookin’ 概要
1956年 Prestige
John Coltrane | ts |
Red Garland | p |
Paul Chambers | b |
Philly Joe Jones | ds |
今回は2回にわけて行われたセッションの2回目のほうでNew Yorkで一気に録音されたものです。
“Relaxin'”(1956年)はRudy Van Gelderの実家のホーム・スタジオが主に収録場所でしたのでリラックス感がありました(かといってホーム・スタジオと言っても当時の最新鋭のスタジオ。さすが名技師)
マラソン・セッションの最後に聴くのはCookin’・・・ちまたでは四部作の中で一番よいとされることが多いアルバムです。
僕はどれが一番かなんて優劣つけがたいなと思うのでなんとも言えないのです。
アルバムジャケットのアートワークについて・・・フィル・ヘイズCookin’
まず恒例のジャケットのアートワークをご覧ください。
四部作の中で一番『アートしてるぅ~』ってなりますね。
自身でトランペットを演奏されるかたはレコードを買って飾りたくなるようなものではないでしょうか?
Phil Haysという1931年テキサス生まれのイラストレーターの作品です。
僕は間違いなくこのおかたの作品と思ってました・・・
この絵のタッチととても似ていませんか?
ケニー・バレルの『ケニー・バレルvol.2 BLUE NOTE 1543』のアート・ワークは若かりし頃のアンディ・ウォーホルなんです。
今回、聴きなおしながらあらためて調べてみて違うことがわかりました。
やっぱり1枚ずつ丁寧に聴く、調べるというのはいいもんです。w
そしてこの四部作にあらためて、アートワークの一貫性がまるでないことを感じましたね・・・
さすがPrestige・・・w
もしかしてですが、これでマイルスは完全にコロムビアへ移籍してしまうので若干やっつけだったのでしょうか?w
でも内容はもちろんマイルス。文句のつけようが当然ありません。
楽曲について Cookin’
4曲(4曲目はメドレー)入りで34分ほどのアルバム。
あっという間に終わってしまします。
1曲目名曲”My Funny Valentine”
1曲目名曲“My Funny Valentine”
こちらも数々のミュージシャンが演奏しますが、マイルスがさらに広めた曲ではないでしょうか。ジャズ・スタンダードです。
今後もたくさんのステージの録音が残されていますが、こちらがマイルス版の原型と言っていいでしょう。マイルスのトランペットがたいへん抒情的です。コルトレーンはこちらもお休みです。
3曲目”Airegin”
3曲目“Airegin”
Bags’ Groove(1956年)にも登場のソニー・ロリンズ作曲のスタンダード。
コルトレーンも絶好調です。吹きまくってます。
もうこのアルバムもセッションもバンドも終わりを迎えようとしているラストを惜しみなく演奏しているというふうに聴こえるのは僕だけではないはず・・・。
今後この曲もどんどんスピードアップして、なんというか暴力的ともいえそうな疾走感たっぷりのライブ録音がマイルスのアルバムにはたくさんでてきますがこちらが一つの原型のように思えます。
4曲目“Tune Up / Lights Are Low”
最後4曲目“Tune Up / Lights Are Low”
Tune Up はマイルスの作曲。メドレーになっているのはまさにこの長時間のセッションがライブと同じく一発で録音され続けたものということを感じさせます。
後半はベニー・カーターというかたが作曲の古いナンバーだそうです。
本当にマイルスはいろいろな曲を見つけてはこうして仕上げていきますね。
When Lights ~は、よくライブの節目や終わりに演奏される“The Theme”のような『おあとがよろしいようで~』感がありますね~。w
あっという間の30分ちょっと・・・。
マラソンセッション(ing四部作)を聴いてきて・・・
ここ数日、マイルスのこのマラソンセッション四部作を中心に昼夜聴いてきました。
よくぞ自分でも飽きずに聴いてられるなと思います。
こんなに繰り返し聴けることに自分がどんだけマイルスに夢中かがわかります。
ただ、それでも時々このセッション以外に何か他のも聴きたいいなとなる時もありました。
そんな時にも自問自答してなにがいいかな・・・と考えるとやっぱりこれらセッションと時期もメンバーも楽器すら違うのですが、1981年の“We want Miles”の”Jean Pierre”が聴きたくなったり、1970年の”A tribute to Jack Johnson”が聴きたくなりました(まだまだあとの時代に出てくる電化マイルスの名盤です)。
なんだかスカっと頭の中をクリアにさせたいなと思いました。
流行と同じ、『反動』がくるもんだと思いました。
次第にフィリー・ジョーは薬物に溺れてマイルスとの距離が空いていくことになります。
マイルスも1950年代初頭は薬物に苦しみましたがそれを克服したところも『帝王』たる所以なのでしょう。
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