We Want Miles 概要
1981年 Columbia
Bill Evans | ss,ts,synth |
Mike Stern | elg |
Marcus Miller | elb |
Al Foster | ds |
Mino Cinelu | per |
『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』で活動再開後、マイルスはツアーに出ます。しかし、その体調は決して完全ではない状態。
むしろ、心身ともに悪かったことが『マイルス・デイヴィス自伝』に書かれています。アルコール、コカインなど薬物や鎮痛剤、古傷や糖尿病、セックス・・・と、その原因は様々です。
かなやま
さらには1979年にセロニアス・モンクが亡くなり、1980年にはビル・エヴァンス(ピアノ)が亡くなり、旧友の逝去もなにかしら影響はあったはずです。
復帰の頃のライブ音源をリリースしたこれまた2枚組である本作『ウィ・ウォント・マイルス』は、復帰後の一番最初のライブのボストン、次のニューヨーク、それと東京での3会場をテオ・マセロ(プロデューサー)の編集がバリバリ入っているアルバムとなっています。
ジャケット・アートを眺める・・・We Want Miles
鮮烈な黄色をバックに筋肉隆々のマイルスがトランペットを床に向かって吹く当時の姿のジャケットのデザイン。
写真はフォトグラファーの米田泰久氏のものだそうで、日本人がここでも採用されていることに僕も驚きます。ジャズ写真家として活動されており、数々のジャズ巨匠の写真を撮られていますね。
かなやま
余談で関係ないですが、下記のリンクのルイ・ヴィトンの小物を初めて見たときは、
“We Want Miles!”と書いてあるかと思ったんですけど・・・w。
楽曲を聴く We Want Miles
本作は3つの会場(ボストン→ニューヨーク→日本)での録音を寄せ集め編集バッチリのライブ盤ですが、羅列順ではなく、録音日順に今回も聴いていきたいと思います。
Fast Track (③)を聴く・・・
復帰作『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』でスタジオ録音された最後の曲が『シャウト』でしたが、その録音から約50日後、マイルスはボストンの小さなクラブ“Kix”(収容400人ちょっと)にて、復帰後初ライブをしました。
『マイ・マンズ・ゴーン・ナウ』のイントロから、いきなりテオ・マセロの編集、ぶった切り『アイーダ』にかわるこの曲は『ファスト・トラック』と名付けられています。
当時、やはりマイルスは本当に吹けるのか?懐疑的な声が聞かれ、ライブ会場は一目、マイルスを見たい客で毎日満員だったそうです。
マイルスは『マイルス・デイヴィス自伝』でもこの一連のキックスでのライブは『ウォームアップだった』と語っています。
『カナリヤ色のフェラーリ、308GTSIスポーツ・クーペ』でボストンまで、マイルスは乗りつけたと自伝で言っています。コカインもボストンで処分でき、復帰後は右肩上がりと当時は感じたようですが・・・そうもいかなかったようです。
『マイ・マンズ・ゴーン・ナウ』は、なんとギル・エヴァンスと共作の『ポーギーとベス』(1958年)からの曲です。全然、僕は気づかずに聴いていました。え?わかります?
ギル・エヴァンス共作アルバムは僕の苦手とするところですが、これはまったく別の曲だと思うのですが・・・。
『アイーダ』は『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』でスタジオ録音された楽曲。マイルスを鼓舞するようなメンバーたちのプレイにも注目です。ミノー・シネルの激しいパーカッションに後押されるマイルスのトランペット・・・。
My Man’s Gone Now(⑤) を聴く・・・
前述のとおり、ギル・エヴァンスと共作の『ポーギーとベス』(1958年)からの、エレクトリック・バンドに進化したもの。
観客が喜んでいる声が入っているあたり、わかるひとにはわかるのだろう・・・。僕には同じ曲には聴こえなかったです。これはこれ。
骨太のマーカス・ミラーのベース!マイルスのミュート・トランペットが途中でオープンにされて、マイルスは吹けるのか?吹けているのかと心配になります。
・・・む~ん、ロング・トーンならなんでもいいわけではないが、いいじゃないですかと・・・。
僕にはこれが本調子じゃないか、どうかはわからないけど、かっこいいのは間違いない!4ビートにスゥイングする即興もかっこいい。
ビル・エヴァンスのサックスもマイク・スターンのギターソロもしびれます(しかしどうやらかなりカットされているらしいことが『マイルスを聴け!』には書かれていますが)。
終盤のリズムがサンバ調になったり、メンバーの即興が楽しめます。
Kix(⑥) を聴く・・・
レゲエでの珍しいタッチになったこの曲。この復帰ライブの会場の名前がそのままタイトルにされました。
レゲエ→4ビート・スウィングに変化させ、マイルスのオープン・トランペットも聴かれて元気そうに思えます。
テンポが上がっていく終盤に向けて、ヒートアップしていきますが、最終盤はレゲエ調に戻り、万雷の拍手で本作は終了します。
Back Seat Betty(②) を聴く・・・
『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』でスタジオ録音された曲です。1981年7月5日ニューヨークのエイヴリー・フィッシャー・ホールで行われた『ニュー・ポート・ジャズ・フェスティヴァル』公演から。
本拠地ニューヨークでの復帰ライブです。
復帰後、コロムビアはマイルスのこれからの体調も危惧していて、とりあえずライブは全て録音していたとマイルスは証言しています。
マイルスがミュートで吹くと観客がどよめくのは、『おお・・・マイルスが吹いている!』といったところでしょう。まだライブ勘は取り戻せないマイルスなのかもしれませんが、メンバーたちのプレイは盤石です。
かなやま
このニューヨーク・カムバック公演、もっと聴きたいかたは『ザ・マン・イズ・バック・ウィズ・ザ・ホーン』なるSo Whatレーベルからのブートで聴けるようです。
Jean Pierre(①④) を聴く・・・
『オレは元気だ』って聴こえてきそうな『ジャン・ピエール』(①④)は、1981年10月4日に東京での録音で、6年ぶりの来日の録音です。
このタイトルはフランシス・テイラー(マイルスの2番目の妻)と彼女の前夫との間の息子の名前から。
お客さんの歓声がいかにも日本らしい感じ。かなり日本での体調は悪く、マイルスは帰国の途は車椅子だったとか・・・。
しかしこの後の福岡公演のブートレグ『アット・フクオカ・サンパレス1981』(1981年10月11日)では超快演だったという中山康樹さんの証言が『マイルスを聴け!』で書かれています。
非常にキャッチーな曲をマイルスは書いたものだ・・・と僕は思います。僕にとっては鼻歌ソング・・・散歩しながら鼻歌で歌ってしまうような、そんな聴きやすさを感じます。
このブログ終了したら、いつか自分でバンド作ってギターでこの曲、弾いてみたいなあ・・・なんてね。そんな親しみやすい曲ってマイルスには少ない気がします。
かなやま
現在の新宿、東京都庁のある場所での特設会場で行われた当時の模様はNHKが放送したそうです。
全般をとおして・・・We Want Miles
このライブ盤2枚組を時系列に聴きながら、ブログを書いてみましたが、やっぱりテオ・マセロってすごい人なのだなあと思います。
1曲目から素直に順番に『ドバ~ッ』と聴くほうが断然、いいのがわかります。そしてかなりの編集がされているあたり、マイルスの調子は全然よくはなかったことを伺わせます。
でも黄色のジャケット・アートを見てこの2枚組を聴けば、そんなにファンを当時は不安にはさせなかったことでしょう・・・。
この裏でマイルスは右手が『卒中で突然麻痺に陥った』こともあったそうです。これではトランペット人生は終わりも同然まで、体調は悪化していたこともありました。
帝王が経験した、スピリチュアル的できごと・・・
復帰はしてはみたものの、前述の体調の悪化はかなりのものでした。マイルスは、精神的にも参ってはいましたが、そんなところでスピリチュアル的な2点のことを『マイルス・デイヴィス自伝』で述べています。
1点目は、シシリー・タイソン(マイルスの4番目の妻)は、この頃、大女優になっていましたが、彼女とはスピリチュアルなつながりがあったようで、マイルスの体調が悪くなると離れていてもそれを察知し、連絡してきたそうです。
離婚はしており、体のつながりはもうなかったそうですが、生活を共にすることも多く、マイルスを支えました。
2点目は、ボストン『キックス』でのライブでのこと。最前列に脳性小児麻痺で身体の不自由な小さな黒人の男が、車椅子でステージの前に座っていたそうです。マイルスは彼がブルースをよくわかっていることを(なぜか)察知したそうで、彼に向かって演奏しようとしたそうです。
ソロの途中で彼を見ると彼は泣いていた。彼はマイルスがステージ上から近づくと、『震えるしぼんだ手を差しのべて、その麻痺している手で、トランペットを、そしてオレを、まるで祝福するかのように触ったんだ』とマイルス。
マイルスは泣き崩れそうになりました。
ライブが終わりマイルスは彼を追いかけたそうですが、見失ったそうです。彼のしてくれたことが心の大きな支えになったと言います。
『こうして今まで続けてこられたのも、彼のおかげだ』とまで、あの帝王が『マイルス・デイヴィス自伝』で語っています(419~420ページ)。
本当はあの帝王もとても復帰とこの先の人生が不安だった。本作のジャケット・アートの鮮烈な黄色のバックに、筋肉隆々の写真のマイルスに、不安もマイナス・イメージもなにもなさそうでしたが、裏ではかなり、精神的にも長期離脱からのカムバックは簡単ではなかったことが伺えます。
そして晩年にむけて、このような体験がマイルスの音楽人生にどのように作用していったのか、それを聴いて感じることが、もはや音楽を聴くというより、考古学のようになっていきますね・・・。なんて魅力的なアーティストでしょう・・・。
復帰したマイルスの決して順調だけではなかった、これからのアルバム群も、本当に楽しみです。でも、聴き方によっては、マイルスの暗い部分をもしかしたら感じられる作品群なのかもしれませんね。
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