考察48【マイルス・デイヴィス】キリマンジャロの娘  アルバムレビュー 

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キリマンジャロの娘【Filles de Kilimanjaro 】 概要 

パーソネルは以下、記事内に。

1968年 Columbia

1968年1月、5月、6月、9月マイルスはスタジオでの録音を精力的に行い、リリースするレベルまで高めていたことに興味があります。

この期間のレコーディングが前回のMiles in the Skyと本作『キリマンジャロの娘』す。

これだけ短い期間に、これだけの大きな変化をしたサウンドを比較すると面白いです。

そしてリアル・タイムで聴いてきたかたは、当時、驚かれたことでしょうね。

Nefertitiが録音されたのが1967年の6月、7月ですから、わずか半年後には大きな大きなサウンドの変化が始まりだしたことを聴けます。

たった半年です!!

どうですか?これがマイルスの魅力の一つではないでしょうか?

こんなにも大きなサウンドの変化を比較してください!!

単純に電子楽器が採用され音色が変わったことや、メンバーが一部代わったことだけにはとどまりません。

音がズレたり、執拗に繰り返したり、ロックの要素が入り始めたり。

マイルスの自伝を読むと、この『キリマンジャロの娘』のジャケットに登場している新しい妻ベティ・マイルス(メイブリー)や、スライ・ストーン、ジェームス・ブラウン、ジミ・ヘンドリックスなどなど、様々な方面から影響を受けたことを知ることができます。

そういえば、昔らからいろんな影響を受けたとマイルスは素直に証言していますね。

それまでも、チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーはもちろんですが、ルイ・アームストロング、フランク・シナトラ、アーマッド・アマル等・・・。

決して自分ひとりで考えて確立して一から作り出してきたと虚勢を張るわけではなく、いろんなファクターを取り入れていることを認めているわけです。

その後、1969年2月に次作、In a Silent Wayという名盤が録音されます。

ジャズというカテゴリーから大きく飛躍するなんてことをしたミュージシャンは、マイルス以前には存在しなかったわけです。

これは大きな大きなカケとも僕たち聴き手は当時を想像しますが、マイルスには絶対的自信があったことも自伝からわかります。

キリマンジャロの娘 パーソネル

そう難しくはないのですが、また表にまとめたほうが、このアルバムのパーソネルを整理しやすいので下記をごらんください。

全曲がマイルス/トランペット、ウェイン・ショーター/テナー・サックス、トニー・ウィリアムス・ドラムスですが・・・

titledateelp/pbelb
1Frelon Brun(Brown Hornet)9/24Chick CoreaDave Holland
2Tout De Suite6/20Herbie HancockRon Carter
3Petits Machins (Little Stuff)6/19Herbie HancockRon Carter
4Filles De Killimanjaro(Girls of Kilimanjaro)6/21Herbie HancockRon Carter
5Mademoiselle Mabry(Miss Mabry)9/24Chick CoreaDave Holland

所謂、二期黄金クインテットメンバー2~4曲目

チック・コリアとデイヴ・ホランドが入ったクインテットが1曲目と5曲目に。

おもしろいのが、ロン・カーターがエレクトリック・ベースを弾いている(もしくは弾かされているw・・・で辞めちゃった???)ことと、ディヴ・ホランドがウッド・ベースを弾いているということです。

この表からわかるとおり、1968年の後半はロンとハンコックがクインテットを離れていくことになりました。

なんだか淋しいとも思いますが、ここからの異なった快進撃もありますから、しかたないですね。

ちなみに僕の持っているコロムビアのアメリカ盤CDのライナー・ノーツは1曲目のピアノ、エレクトリック・ピアノがハービー・ハンコックと表記されていますが、いろいろ調べてみても上記の表のとおり、チック・コリアで間違いないようです。

なぜタイトルがフランス語表記なのか・・・?

なぜ本作はフランス語表記なのでしょうか?

僕の持ってる書籍の中からは答えは導けませんでしたが、ネットを調べてみるとおおかたの見方は次のようです。

マイルスが当時出資していたのが、フランスのコーヒーを扱う会社だった。その会社の宣伝にもなるのでフランス語表記にしたという見方です。

フランスだけでなくヨーロッパにおいては、ジャズはたいへん高尚なアートとして地位が確立されてたことも少なくともその要因にはなっているはずです。

アメリカではエレクトリック楽器の広まりからロックがどんどん幅をきかせている時期でもありましたので、フランスは大きな商圏だったこともあるでしょう。

楽曲を聴く・・・

全5曲がマイルスの作曲というのも、ここしばらくなかったこと。

レコーディングした日をとってみてもマイルスが非常に精力的だったことがわかります。

コロムビアの用意したNew Yorkのスタジオを使いたい放題だったこともあるでしょうけれど、大きな変化へのマイルスのモチベーションを感じます。

マイルス・ロックの幕明けとも言えそうな1曲目Frelon Brun「ジェームス・ブラウンの『コールド・スウェット』にヒントを得て作られたFのブーガルー」小川隆夫さんの「マイルス・デイヴィス大事典」で解説されています。ブーガルーというのはこんな意味だそうです。フェンダー・ローズの最低音域まで使ってマイルスが表したかった新しいサウンドを楽しみましょう。

5曲目は「ジミ・ヘンドリックスの『風の中のメリー』のイントロを発展」小川隆夫さんの「マイルス・デイヴィス大事典」で解説されてます。長い曲ですがなんとも、フェンダー・ローズを全面的に押し出した新しい世界観ですね。

全般をとおして・・・

マイルスが素直にジェームス・ブラウンやジミ・ヘンドリックスから影響を受けていると認めていることが、このへんの時期のアルバムのおもしろいところと思います。

勝手なイメージでは、マイルスは『オレがゼロから創り出したものだ!』って言い張っている感じでした。

でも時系列に調べながら聴いてくると、一度も『オレがオレが・・・』をしいていない。

いろんなファクターを融合させ、いろんなミュージシャンを融合させ、マイルスは音楽を作っているなあと僕は感じています。

そして次からのスタジオ録音のIn a Silent Way (1969年)とBitches Brew(1969年)という大きな変化の一つの着地点が生み出されるのです。

そして精力的なマイルスの姿勢・・・。いいですね・・・。それを感じとりたいものです。

正直、このブログを書くにはそこまで聴きこんでないアルバムだったし、好きな部類に入る感じではありませんでした。

やっぱり通過点のアルバムかなと。

Nefertiti(1967年)とBitches Brew(1969年) の合間の通過点・・・。

悪く言えば道半ば、よく言えば過渡期を知る上での貴重な史的価値のあるアルバムかなと思います。

それをここまで繰り返し聴き続けている僕はちょっとカワリモノかな・・・。

ここから大好きなIn a Silent Wayをまたヘヴィロテします!!

本日も最後までありがとうございました。

<(_ _)>

 

 

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