Aura 概要
1985年 Columbia
録音されたのは1985年1月~2月。実際リリースされたのは1989年でした。というのは“You’re Under Arreast”(1984年~1985年)が長く在籍したコロムビア・レコードからの実質的最終作で、契約の関連から録音からはるかに時間が経過してのリリースとなったようです。
かなやま
『ユア・アンダー・アレスト』の中のスティング出演料の支払いをきっかけに、ほかのもめていたこともありワーナー・ブラザースへ移籍しました。
録音はデンマークのコペンハーゲン。日本でも大人気のマイルスでしたが、ヨーロッパをはじめ北欧でのマイルスの人気は、本国アメリカのロックとポップスの人気に比べれば、相変わらず・・・といったところ。マイルスはデンマークで『レオ二ド・ソニング賞』というものを受賞したのでした。
『レオニド・ソニング賞』とは・・・Aura
デンマークのレオニド・ソニング財団が主催する音楽賞で、小川隆夫さん『マイルス・デイヴィス大事典』によると過去にはストラヴィンスキー、バーンスタインなどが受賞していて、ジャズではマイルスが初の受賞者だそうです。
その授賞式では、財団が委託した作曲家の作品を演奏するのがしきたりで、この時は本作の楽曲のすべてを作曲したパレ・ミッケルボルグ(tp、辛口な中山康樹さんが言うには『二流のトランペット奏者』w)が作編曲した組曲『オーラ』をビッグ・バンドと演奏したらしいです。
で、注目されるのはジョン・マクラフリン(elg)も参加していますが、そのビッグ・バンド在籍の奥さんであるカティア・ラベック(p)がいたことで、飛び入りで参加したとのことです。つまりは計画的に野心をもって、新しいサウンドの構築をマイルスが目指していた・・・というわけではなかったようです。
テレビとラジオで放送されたこの組曲『オーラ』をマイルスは正規に録音することにしました。もともと組まれていたヨーロッパ・ツアーの合間に本作は録音されたとのことです。
そう本気度は低く、成り行きで録音されていったようですが、4年経過してのリリースは当初、日本でも注目されたはずです。
かなやま
録音された直後、中山康樹さんはマイルスからゴキゲンに本作のテープを聴かせてもらったエピソードをあちこちの著作で述べられています。マイルスにとってはお気に入りの自信作だったようなのですが・・・。
ジャケット・アートを眺める・・・Aura
マイルスがうつむきかげんに帽子をまぶかに被ってミュート・トランペットを吹く写真・・・あろうことか『デコイ』(1983年)のジャケット写真の別テイクというから、コロムビアの力の入れようが低かったこともうかがわせますw。それとマイルスの帽子の周りを飛び交うタイトル・ロゴ・・・中山康樹さんはこれにも低評価を与えています。『ムチャクチャ』だと・・・w。
かなやま
やっつけ仕事のコロムビアは、きっとマイルスのワーナー・ブラザースへの移籍が悔しかったのでしょう・・・。
楽曲について・・・Aura
『オーラ』のタイトルどおり、①曲目『イントロ』を除いて、カラーにまつわる楽曲をパレ・ミッケルボルグが作編曲したコンセプトのアルバムとなっています。ポイントは『マイルスが作曲したわけではない』ということ。
かなやま
なんとなくマイルスらしくないようなところもある楽曲の数々・・・。マイルスが一色ずつのイメージを曲にしたのなら、非常に興味深い作品になっていたかもしれませんが・・・。
②曲目『ホワイト』ではマイルスのきれいなミュートが聴けます。④曲目『オレンジ』では『ウィ・ウォンント・マイルス』(1981年)の『ジャン・ピエール』の一節なんかも飛び出します。⑨曲目『インディゴ』ではかつての2期黄金クインテット時代のようなタッチが聴かれますが、パレ・ミッケルボルグがやってみたかったことなのでしょう。パレはマイルスの大ファンでもあります。
全般に、このあと中山康樹さんの評価を書きますが、マイルスのソロに関しては非常に聴いていて、さすが帝王と思わせるサウンドとなっていますね。
“Aura”の評価を二人のジャズ批評家より・・・
本作は結論からいうと、はっきり言って、とても評価の低いアルバムとなりますw。といっても高レベルなマイルスの作品群の中ではということです。
小川隆夫さん『マイルス・デイヴィス大事典』より
本作について小川隆夫さんは、ギル・エヴァンスのオーケストラと共演してきたマイルスのアルバムとは趣が異なるとおっしゃっています。『きついいい方をするなら』と前置きしたうえで、『マイルスのプレイにオーケストラの伴奏をつけただけで、それによってクリエイティヴななにかが追及されるにはいたっていない』と辛口です。
かなやま
僕が小川隆夫さん著『マイルス・デイヴィス大事典』を発売から3ヵ月以上、使いたおしたレビューはこちらからご覧ください。
中山康樹さん2冊の著作より
中山康樹さんの『マイルス・デイヴィス完全入門』より、前述のように、ジャケット写真とアート・ワークのいい加減さが、本作の低評価につながっていることはご紹介しました。ふと中山さんは同著を執筆しながら思ったそうですが『聴いてはいけない大賞』は本作ではないか・・・とのことですw。パレ・ミッケルボルグが望んだようにマイルスは『マイルスを演じている』と評価しています。前述の小川隆夫さんと同様、マイルスのクリエイティヴ性を感じられないという点がピッタリと一致していますねw。『マイルス唯一の【誤り】であった』とも・・・。けちょんけちょんですw。さらに続きます・・・『ミッケルボルグには怒りをとおりこして笑わせられます』『はじめてマイルスの【トシ】を意識しました』・・・。
かなやま
ああ、もうやめてあげて・・・www。
ただし中山さんの『聴いてはいけない大賞』ですが、御大のアルバムに聴かなくていいという作品はないという前提はあります。マイルスを聴き始めた初期の段階で聴く必要のないもの・・・という程度の意味をなしています。『マイルスを聴け!Version7』では『全曲、マイルスが吹くソロ・パートだけは1級品』『マイルスに駄作なし』とも評価を付け加えられています。念のため・・・w。
個人的、本作の評価・・・Aura
僕のファースト・マイルス・・・『オーラ』は思い出の1作
『ファースト・マイルス』(1945年~1947年Savoy)というアルバムが毎回中山康樹さん『マイルスを聴け!』のすべてのヴァージョンで1作品目に紹介されます。が僕にとっての本当の“First Miles”はこの『オーラ』ですw。
当時、HMVやタワー・レコードに暇があっては行って、買わずにブラブラ店内を見てまわっていました。当時、高校生の僕はお金もなかったし、店内に流れる音楽を聴いてまわっていたのでしょう。ガラス越しに区切られているクラシックとジャズのコーナーへ思い切って入って、流れるジャズのあのゾクゾク感、スリリング感、なんの脈略もなさそうに聴こえるアドリヴやグルーヴに魅せられ、マイルス・デイヴィスというトランぺッターなあら名前も聞いたことあるし、いっちょ、買ってみるか・・・帰宅して聴いてみると『なんですか?コレは!?』
『A列車で行こう』とか『モーニン』を思い描いていた僕にはコレがジャズなのか???と愕然としたことを自己紹介のページにも書いてあります。
よりによって、前述の小川隆夫さんと中山康樹さんのケチョケチョンの評価w・・・とくに中山さんにおいては『聴いてはいけない大賞』とまで言われる1枚を本作とした『自分の引きの強さ(弱さ?)』を感じられずにはいられませんwww。だって100はあるであろうマイルス作品のたった1枚のもっとも聴いてはいけないアルバムを僕は選んでいたのですから・・・。
あの当時、僕がマイルスの中でも他の作品を選んでいれば、僕は今頃、ジャズ歴20年以上のけっこうなジャズ・ファンになっていたことでしょう・・・。随分、遠回りしてここまでマイルスにのめりこむようになりました。
その間、就職し、転職し、転勤もし、結婚、出産、子育ても経験して、わりと時間をとれるようになってきて、ブログとしてマイルスについて備忘録をかねてマイルス・ファン・ブログをやっている今、こうして過去の『黒歴史』が日の目を見ることになったことは喜ばしいことですwww。
でもですね、確かに本作のマイルスのソロは本当いいですよ!とってもいい!!昔と聴こえ方が全然、違うことに気づきました。マイルス・デイヴィスという一人の巨匠を時代順に聴いてきたから、他のジャズも聴いてみたから、かもしれませんね。
長い長い暗黒の音楽時代を僕は過ごしてきたかもしれません。非常に迷い道が長かったです。でも約7年ほど前、いろんなジャズのオムニバスを経由して、マイルスに再会した僕は、パッと明るい音楽時代に突入できました。
かなやま
マイルスを聴くようになったとき、『コレだ!コレは一生かけて聴いていくべき音楽に出会えた!』そう思えました。
もう一つおもしろい話。小説家でジャズの愛好家でも知られる平野啓一郎さん。同じ世代なのですが、このかたも『ファースト・マイルス』が『オーラ』だったと、なにかの動画か音声配信で言っておられましたw。1970年代、コロムビア・ソニーの商業戦略は当たっていたと言ってもいいのかもしれません・・・。しかしこの商業戦略で失った商圏もあったかもしれませんよ・・・w。
これを読んでおられるかたの中にも『ファースト・マイルス』が『オーラ』であるというかたはいませんか???
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